新年明けましておめでとうございます。
入退院の連続で、長くアップ出来ずにおりました。
そんな折、2025年の元旦は、妻と「和歌山城」に行って来ました。
◆和歌山城に入って参ります。
◆お堀の鯉に、心が癒されました。
◆人工美、石垣に圧倒されました。
◆大名の家紋を探したのですが、見つかりません。
◆天守閣へ入ります。
(拡大写真)
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◆乗ってみたいと思いました。
中の床は、畳敷きでした。
◆剣
(拡大写真)
◆今でも使えそうです。
近くから撮影すると、破れた箇所がありました。
とても素晴らしく思いました。
◆達筆。
◆さて、天守閣から見える、「瓦屋根」・「しゃちほこ」。
◆収蔵品をさらに見ました。
医療器具。
◆天守閣の階下に行きますと・・
「立ち入り禁止」の箇所が。
入りたい。
何があるのでしょうか・・
◆御橋廊下
藩主の居住区 二の丸と
庭園がある西の丸をつなげる
傾斜がある橋です。
藩主らが移動するのを
誰にも気づかれないよう
壁付になっているそうです。
江戸時代の図面をもとに・・
木造で復元されています。
実際に通ることが出来きました。
徳川御三家の一つになります。
中世後期の和歌山平野には、戦国大名は生まれませんでした。
人々の仕事は、海運・漁業・農業など。
その一方的で、鉄砲などの武器を使いこなして、傭兵としても活躍していたそうです。
◆その後、和歌山城が創建されました。
1585年 (天正13年)。
紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて、現在の「虎伏山」に城を築かせました。
これが和歌山城の始まりとなります。
◆その後、秀長は郡山城(奈良県大和郡山市)に移りまして、家臣の桑山重晴が和歌山城代となりました。
◆1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いの後。
浅野氏は連立式天守を建てるとともに、城下町を整備しました。
◆そして・・紀州徳川家。
1619年(元和5年)、徳川家康の10男 頼宣が、「紀州藩」を成立させました。
◆紀州徳川家は、尾張・水戸とともに、「御三家」と呼ばれます。
8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出しました。
◆浅野家は、虎伏山に 天守閣を築造させました。
1798年(寛政10年) 、十代藩主の徳川治宝により、白壁の白亜の天守となりました。
しかし、1846年(弘化3年) 落雷で焼失しました。
◆それでも、1 8 5 0年(嘉永3年) ほぼ元のまま再建されます。
◆昭和20年 和歌山大空襲で焼失
◆昭和33年 空襲前の外観をそのまま再現
(鉄筋コンクリートで、復元されたそうです。)
◆和歌山城に、とても感動しました。
◆皆様にとって、良い2025年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
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