蓮室 あきら

1970年生まれ。大阪市在住。既婚。本来は、テキトー男。ジャーナリスト・コラムニスト。様々な場面から得た、新たな発見、癒された事、穏やかな気持ちを、日記にしています。【この名前でも、実名の漢字でも、執筆・掲載した事はありません。(プライベート日記です)】

昭和の時代が懐かしい


昭和の時代。

振り返ると、懐かしい物がたくたんあります。

すべて書ききれないくらいに、たくたん・・。




(2022年 天保山マーケットプレイスで撮影)



医学の進歩や、人々のモラル意識の向上によって、今や喫煙は身体に良くないとされ、タバコを吸う人や喫煙スペースは、随分と少なくなりました。

それは良い事として捉えていますが、忘れたく無い物がたくたんあります。



①写真にあります、赤電話。

学生時代の、友達の電話番号を、まだ覚えています。
ダイヤルする度に、いつの間にか覚えてしまいました。



②カセットテープは、3段階のグレードに分かれていました。

標準的な物は「ノーマル」。最上級は「メタル」テープ。

CDからそれらのカセットテープに「ダビング」しては、音質を聞き比べたりしました。



③ビデオテープにはVHS等があり、数百円高い物を買っては、贅沢感と満足感を味わいました。



④メンコ、ヨーヨー、古来からある凧(たこ)はゲイラカイトに。

街の電線に、そのゲイラカイトがよく引っかかっていました。



⑤厚紙で戦艦や飛行機を作ったり、ガンプラの流行りを機にプラモデルは今や大人でも楽しめるようになりました。



鉄道模型は、子供にはなかなかたくたんは買えない値段でしたので、「プラレール」(トミカ)が流行った様に思います。



⑦昭和の時代にはミニカー(トミカ)が生まれ、今日のそれは大変精巧な作りとなりました。



⑧カブトムシやクワガタ虫を捕るには、近くの森に行けばたくたん生息していました。



⑨滑り台の無い様なプールも大流行、楽しくて仕方ありませんでした。



⑩子供の頃から何度も乗った0系新幹線の最高速度は、210km/h。

新大阪駅から、母方の実家がある広島駅まで行くためには確か2時間半程かかりました。

修学旅行でもお世話になりました。

その頃の新幹線には、食堂車が連結されていて、旅を感じ、車窓やその揺れは忘れ得ません。




・・書き始めるとキリがありません。




◆それらに共通した

「家族や友達との直接的な情報交換・共有」・「コミュニケーション」等

とても楽しかったと思う昨今です。



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