私の兄の内の一人は幼い頃に喘息に苦しんだ。その時彼は、苦痛から逃れるために、癒しを求めるために、聖書を読んだそうだ。
キリスト教徒ではないその兄は何をきっかけにして聖書を読み、そこからどんな癒しを賜ったのか、私は今になって知りたくなった。
そういえば、高山右近は我が町大阪府で名をあげた大名で、戦国時代の末期から江戸時代における日本人キリスト教(カトリック)信者であったと学校で教えられた。どんな宗教なんだろう。
私達日本人には信仰の自由が与えられている。幸せな環境に生かされているわけだ。私もその兄も両親も妻も信仰心は薄いが、それはもしかするといつでも自由を求めれるのだと知らず知らずに気付いているからかも知れない。
私は常々思う。自らが癒しを求めるための対象は、宗教に限らず山でも海でもはたまたペットでも食べ物でも何でも良いのだと。
人は人の心を傷つけさえしなければ、そして自らの心を信じていれば、幸せ生きれるのはないだろうか。